オープン・プロポーザル

CAN WE TALK ABOUT MAVO?

マヴォについて話さない?

日本のダダ・ムーブメントのための、日本(現代)美術の位相の仮設プラットフォーム

「つまり、モダニズムとは、幻滅することなく、幻想を持たずに生きることだ」というアントニア・グラムシの引用に基づくと、韓国のダダイスト、詩人イ・サン/李箱(1910〜1937年)は、モダニストになりきることができなかった。イはまさに近代に幻想を抱き、そして東京に幻滅した。私は日本統治時代(1910〜1945年)に推し進められた韓国の近代化について語る上で、彼の失敗が重要なカギになるのではないかと考えている。と同時に、果たして今までこのテーマが本当の意味で語られてきたのか、という疑問が私の中で湧いてきた。

1936年の秋、イ・サンは初めて東京を訪れた。そして、滞在6ヶ月目の1937年2月に「不逞鮮人」(この言葉は当時、反抗的な反日朝鮮人を指した)として逮捕され、同年4月に東京帝国大学病院で死亡した。彼の住所は神保町3丁目10-1-4。この一帯は古本街として知られ、1920年代にはここで前衛芸術運動が花開いた。しかし、イはそれに間に合うには一足遅かった。彼は日本語、韓国語の2ヶ国語で執筆活動をしていた。雑誌『朝鮮と建築』(1931年)に初めて発表された一連の詩作は、すべて日本語によるものだった。イは東京滞在中もいくつかの作品を書き残しているが、その中には「東京」と題されたエッセイも含まれる。「東京」は、丸の内ビルの話からはじまる。「私の想像の中での丸の内ビルヂング-通称『丸ビル』-は実に壮大な建築物で、実際の『丸ビル』よりも、少なくとも4倍の規模だった。ニューヨークの『ブロードウェイ』を訪れたら、同じような幻滅を味わうことになるだろうか。どちらにせよ、『なんてガソリン臭い都市だ!』というのが私の東京の第一印象である。」

今日において知識を蓄えることは、自らをリスクに晒すことでもある。絶え間なく押し寄せる知識、情報。その中で、鋭い批評精神を維持し、自分の感覚に意識的であることは困難極まりない。それでも、常にものごとを問いただすために、どう肯定的であり続けることができるだろうか? 知識の現代性とはなにを意味するのか? 理解に到達するために、ある行動に重きを置く「researching」(再・「調査」する)という言葉の接頭辞、接尾辞の「re –ing」は、未来に向かうのではなく、恐れることなく過去に繋がる道を辿れ、と促す。さらに「researching」は、なにかを「探す」こと、なにかを観察すること、そしてなにかを知ろうとする日常の行為を示唆するものでもある。それは、日常的な行為にコミットすることでもある。1920年代半ばに活躍した前衛美術グループ、マヴォとその活動をリサーチしてきた私は、自らの歴史観を実践するために、当時マヴォのメンバーが感じ取り、体験していたモダニズムを「いま」に呼び起こすことを試みる。

マヴォの急進的なアクティビズムが戦後当時から現在まで日本のアート界に見過ごされ、制度化されてこなかった事実は、この試みをさらに面白いものにする一要素となった。それによって私は、「日本におけるダダの継承者」を自称したマヴォをオルタナティブなアプローチから取り上げることができた。それは、西洋の前衛の歴史という山の頂きを目指して正面から登るのではなく、近道を選択するようなものである。それはすべてのダダイストたちが夏の東京で一同に会するといった出来事、もしくは、違う惑星からやってきた三面怪獣ダダの到来を目の当たりにするようなことだ。つまり、マヴォ、そして日本におけるダダは、「前衛を歴史化」する営みにおいて異なる一連の問いを議論の俎上にのせ、また「いま」を呼び起こすものなのだ。その営みとは、マヴォを日本特有の運動として語ることでも、グローバルな文脈において位置づけることでもない。むしろそれは、追求される必要のある、半ば不可能に近い課題なのだ。私はマヴォがダダ-そしてモダン-を日本に移植することが何を意味するかについて自覚的であり、同時に意識的にそれと向き合おうとしたことに注目した。つまり、彼らは自分たちがどのような武器を手にしているか、そして、それと「近代」の日本との矛盾を理解していたのだ。

私が『MAVO』という題名の本を手にして日本に降り立ったその夏に東京でスイス大使館主催のダダ100周年記念フェスティバルが行われたのはまったくの偶然だった。しかし、残念ながらこの催しの目的は日本におけるダダについて考えることではなく、よって日本におけるダダと日本の現代美術を繋ぐ窓口にはなり得なかった。いくつかのイベント会場ではダダが真剣に取り上げられていたものの、マヴォは未だに20世紀初頭に沸き起こったグローバルなダダ・ムーブメントの一貫として位置づけられていた。ちなみにここで論じている「ダダ」は、アートの歴史における「モダン」の定義や、時代区分に属するものではないことを強調しておきたい。むしろ、それはある精神、急進的な思想、そして「現代」というものが私たちに対して要求する切迫感なのである。それは「ダダ作品の複写と、ダダの聖地巡りのペア旅行券が当たります」といったものからは到底、汲み取ることはできない。

このマヴォについてのリサーチでは、知の創造に繋がるような知識の交換のプラットフォームを形成するために、オープンなプロセスや、リサーチの「行動」の側面を取り入れている。プラットフォームの参加者を公募し、彼らの協力によって寄せ集めの図書館を作り上げることで、「researching」(再・調査すること)は再び、共同作業による知の創造のメインツールとなる。それは、以下のような問いに繋がる図書館をどう実現させるかを探求するためのオープン・プロセスだ。「知識をオルタナティブな方法ではなく、ラディカルな方法でどう共有するのか」、「図書館という営みをどう活性化させるのか」。パネル・ディスカッションも行われるこのプラットフォームでは、テキストのコラージュ、日常の中の発見、そして、参加者による本のコレクションを集めるプロセスによって作り上げられる「図書館」のかたちをとる。そこでは批評的方法論として、意図的に「misunderstanding」(誤解)、「mistranslating」(誤訳)、「 mistransferring 」(誤写)が採用され、また思考のプロセスがパフォーマンスによって表現される。ここでは「アートにおける実践とはなにか」という問いにおいて、私は「再演」をアーカイブ化の方法とみなし、作品の実践におけるパフォーマティビティーと一時性を、同時代的、社会的、経済的な文脈の中に持ち込もうとしている。こうすることで、「勢いを増す高波にも似た、現代における実際の使用に抗う」ような「現代」という言葉の意味において、この実践を再解釈することができる。現代アートの歴史がこの繋がりにおいて成立するかどうかは興味深いところだ。

このオープン・プロポーザルは、「行動による実践」の実験でもある。当初は視覚的なダダの美学に惹かれていたが、そのうちその鋭い感覚と切迫した責任への希求に注目するようになった。そしてこれらは、独学でいろいろと学んできた者にとっては、まさに「現代的」な感覚なのである。この点においてダダはまさに「現代的」だ。そこで、マヴォについて話し合ってみるのはどうだろうか?

 

私の活動のために多大なるご助力をいただいき、突然の申し出にも関わらず、快く知識と見識を共有してくださいました皆様に感謝いたします。

大坂紘一郎、白川昌生、萩原健、縄田雄二、藤井光、五十殿利治

特別協力:石井瑞穂、藤本裕美子、朝重龍太、池田哲、高倉吉規、中里洋介

 

サポート:アーカスプロジェクト、服部浩之(アーカスプロジェクト2016 ゲストキュレーター)

 

translated by Nobuko Aiso 相磯展子(Art Translators Collective)